2011年3月28日月曜日

took jyai tii panyad

放射能を避けるようにという母の命令によりアユタヤへ一時帰郷したOKE。3年前パニヤッドで取材中に会ったOKEはラチャパッド大学のフックガーン(インターシップ)でパニヤッドに来ていた。ひさしぶりの再会。 彼らはラチャパッドの日本語学科の仲間たち。3年前に校内で蛍光灯の下、屋外ピンポンをして仲良くなった。今は仲良くムーカタをつつくが、仲間の進み道はそれぞれ。ジャニーズ嵐が好きで日本語学校へ行くものもいれば、アユタヤロジャナの工場で通訳をする女もいれば、月給8万で浜松や茨城、名古屋の工場に働きに行くものもいる。 彼らかすれば放射能を浴びた日本もまだまだ魅力的で、「みんなは日本に行くのに、マサオはなぜタイへ?逆だ」と何度言われたことか。 出稼ぎ組みは工場で働く準備を研修センターで毎日行っている。日本特有の大きな声での挨拶「お疲れ様でした!」タイ人は大きな声をとても嫌う。彼らはまずそこに慣れることからはじめなければならない。 頭を下げると同時に大声を出したり、ラジオ体操を第二までそらで覚える。 行き先は直前まで分からない。できれば地震や津波や放射能を無縁な地域に行きたいというのがかれらの本音だ。 kao book waa "pii TOOY nisai maidii,tin ruuk tin chaang tin PANYAD CHAANG ,pai ruui parayaa mai duai"